高岡の開祖前田利長の菩提寺曹洞宗の名刹。 3代藩主前田利常の建立で、壮大な伽藍配置様式の豪壮にして典雅な美しさに圧倒されます。 山門、仏殿、法堂が県内で初めて国宝の指定を受けました。 |
歴史のうえで奈良、鎌倉につぐ日本3大仏に数えられる「高岡大仏」は、伝統の銅器製造技術の粋を集め、30年の歳月をかけて完成したものです。 総高15.85m、重量65tというスケールの大きさは、高岡の象徴です。 |
慶長14年(1609)、加賀藩2代藩主前田利長が開いた高岡城は、大阪夏の陣の後廃城となりました。 しかし、美しい水濠や土塁は残されて、約21万m2の広大な城跡公園となり、四季それぞれに鮮やかな自然美を見せてくれます。 公園内には、工芸都市高岡ならではの“芸術の森”や博物館、自然資料館、動物園、市民会館、市民体育館、射水神社などがあり、豊かな自然とともに、心なごむ憩いの場として人々に愛されています。 |
民家を改築した高岡市鋳物資料館は、千本格子の家並みに溶け込み、こぢんまりとした親しみやすい資料館です。 ここでは、高岡鋳物師(たかおかいもじ)の誇りと心意気に触れていただきながら、貴重な古文書や懐かしい道具などを通して、高岡鋳物の歴史をご覧いただけます。 |
橋の名は、高岡の地名の由来と伝えられる詩経の一節「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」から名付けられています。 鳳凰像は、橋の左右に2体あります。 |
高岡鋳物発祥の地碑利長の命により砺波郡西部金屋から鋳物師7人が招かれ、千保川の左岸で鋳物づくりが始まりました。 |
[改修中。本堂の参拝ができます。] 戦国時代、越中一向一揆の拠点となった、中世城郭寺院の威勢を今に示す風格を誇ります。 “勝興寺の七不思議”は有名。勝興寺境内に、越中国庁があったとされます。 |
守山町から小馬出町へと続くかつての北陸道に残る土蔵造りの家は、明治の優れた防火建築です。 |
秀吉から拝領した山車を、利長公が高岡町民に与えたことが始まりと伝えられます。 華やかな桃山様式を帯びた高岡名工の技が結集されており、7基の御車山が町々を巡行する祭りの華麗さは、圧巻です。 |
利長公に手厚く保護された鋳物師たちが、利長公の御印文書を崇め、報恩の気持ちを示す祭り。 石畳が続く金屋町で「やがえふ」の町流しが行われます。 |